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「めぐって学ぼう岡山空襲跡」(岡山東エリア)を開催

2020/11/27
11月19日、「めぐって学ぼう岡山空襲跡」(主催:おかやまコープ岡山東エリア「平和プロジェクト」)が開催され、組合員16名が参加しました。「岡山の戦争と戦災を記録する会」の前田真理子さんと谷口朋美さんの案内で、岡山城周辺に残る「岡山空襲」の跡を巡りました。
 

【岡山空襲について】
昭和20年(1945年)6月29日午前2時43分から4時7分まで行われた岡山空襲では、大量の焼夷弾が落とされ、少なくとも1,737人以上の方が亡くなりました。アメリカ軍の報告によると、当時の岡山市街地(町)の63%が焼失しました。
岡山城も、戦災前は国宝に指定されていた天守閣が激しい炎に包まれて崩れ落ちました。焼け残ったのは石垣の一部と、月見櫓《つきみやぐら》・西手櫓《にしてやぐら》(いずれも戦後、国の重要文化財に指定)のみでした。

 
朝10時、天守閣前広場に集合した参加者は、新型コロナ感染対策として事前の検温と体調チェックを受け、マスクを着用し、適度な距離を取りつつ出発しました。
 
見学コースは、1.岡山城本丸 ⇒ 2.本丸石垣と焼け残った榎 ⇒ 3.禁酒会館 ⇒ 4. 内山下小学校と西手櫓周辺 ⇒ 5. 内山下小学校の石山門石垣 ⇒ 6.石山公園の平和像 です。
 
1. 岡山城本丸
天守閣前広場に並べられた「築城当時の礎石」。岡山空襲によって焼け崩れた天守閣の礎石が元の通りに配置されています。現在の天守閣は昭和41年にコンクリートで再建されました。
(礎石の間に置かれている和傘は、翌日からスタートのイベント「岡山城夜間特別開館 秋の烏城灯源郷」(11/20~29)の演出。)

 
本丸「中の段」から西側に目をやると、岡山空襲の目標とされた付近に建っているNTTクレド岡山ビル(赤丸で囲んだビル)が見えます。
岡山空襲の夜、寝静まった町に約9万5千発の焼夷弾が降り注いだこと、空襲警報が発令されなかった経緯を伝える土井辰己さん(当時陸軍中尉で司令部防空本部の当直勤務を行っていた)の体験記、猛火に包まれた市街の惨状などの説明がありました。

※[YouTube]動画をご覧ください⇒「岡山空襲について」
(屋外のためノイズが多く入っています)


「中の段」の奥には「月見櫓」が17世紀前半の姿そのままに残されています。 

2.本丸石垣と焼け残った榎
天守台は不等辺五角形をしており、全国的にも珍しいそうです。
戦前は国宝に指定されていた天守閣を一夜にして焼き尽くした火災の凄まじさが、赤黒い跡として石垣に残っています。
 

天守台の西側、川のほとりには、空襲で焼かれて中が空洞になった榎が2本あります。
空洞を自ら埋めるかのように成長しており、痛々しさと同時に生命力の強さが感じられました。


後楽園の紅葉を水面に映し、ボートが浮かぶ、穏やかな旭川。
空襲の日は、火から逃れ水を求める多くの人々が飛び込んだそうです。
 
3. 禁酒会館
消火活動によって焼失を免れた禁酒会館は、大正時代の木造建築です。国の登録有形文化財に指定されています。


禁酒会館の前の大通りからは「西手櫓」の裏側を見ることができます。


4. 旧内山下小学校と西手櫓周辺
「旧内山下小学校」は、昭和初期に建てられた、当時では珍しい鉄筋コンクリートの校舎。小学校の統廃合により2000年度末に廃校になりましたが、イベント等で活用されています。


敷地内には前述の「西手櫓」があります。1600年頃に建てられ、隠居後の歴代藩主と家族が住んだ建物です。


校庭の隅には高さ1メートル程の碑があり、文字の上にセメントが塗られています。建立当時、表側には「大東亜戦争開戦記念国旗掲揚碑」、裏側には「昭和十六年十二月八日建立」とあったそうです。
 


 ※[YouTube]動画をご覧ください⇒「第二次世界大戦の思い出(旧内山下小学校『創立記念誌』より)」
 

5.旧内山下小学校の石山門石垣
旧内山下小学校南側の石垣にも岡山空襲の火災の跡が残されていました。石が赤黒く変色し、ひび割れています。
 


 
6.石山公園の平和像
最後に訪れたのは、岡山市民会館の隣にある石山公園。「平和都市宣言」〔昭和62年(1985年)3月28日〕を記念して建立された「平和の像」があります。
岡山市は平成元年(1989年)に、6月29日を「岡山市平和の日」とすることを宣言しています。

 



「平和都市宣言」
 
真の恒久平和を実現することは、戦災で多くの尊い人命を失い、街を焦土と化した岡山市民のみならず、人類共通の念願である。
しかるに、核軍備の拡張は、依然として行われ、世界の平和と安全、人類の生存に深刻な脅威をもたらしている。
我が国は、世界唯一の核被爆国として、核兵器の廃絶を世界の人々に強く訴え、この地球上に広島、長崎の惨禍を再び繰り返させてはならない。
岡山市民は、日本国憲法の恒久平和の理念に基づき、すべての国のあらゆる核兵器が完全に廃絶されることを願い、平和で幸せな岡山市を築くため不断の努力を続けることを誓い、ここに岡山市は平和都市を宣言する。
 
昭和60年6月25日 岡山市


【見学を終えて】
この日は11月には異例の暖かさで、少し歩くと汗ばむほどでした。紅葉が彩る天守閣を仰ぎ、秋晴れの空を見上げながら、75年前に思いを馳せました。
月日の経過とともに痕跡が消えかけていたり、中にはすでに失われてしまった戦跡もあり、参加者からは「身近なところに戦争の跡が残っていることに驚いた」「戦争の記憶を風化させず語り継がなくては」などの感想が寄せられました。
 
【岡山東エリア委員会メンバーの思い】
岡山東エリア委員長 川福めぐみさん
岡山市内にこういった戦跡があることは、意外に知られていないと思います。身近な場所に戦争の痕跡があることを知れば、戦争のことを「遠い話」ではなく身近なこととして受け止めやすいですよね。
今回参加された方の中には、子どもの頃に岡山空襲を体験された方もおられました。当時を振り返るというのも、年月が経った今だからこそできるのかもしれません。
戦争当時、岡山で何が起こったかを知ることで、それぞれの考え方も広がると思います。戦争の記憶を風化させないために大切なことだと思い企画しました。

 
【参加者の感想】
・自分が生まれ育ってきた町の至るところに空襲の跡が残っていて驚きました。
・岡山の空襲が、大きく悲しい出来事だったことが目で見て分かった。
・ゼリー状のガソリンのことを知らなかった。参加者から、体験されたことを聞けてよかった。
・石垣が赤く変色していたことと、爆風や火で木が二つに割れていたことに驚きました。
・今でも市内に焼け跡が残っていることを知り、戦争の恐ろしさを忘れてはいけないと感じました。
・親からも聞いたことが無かった空襲の話が聞けて、勉強になりました。できれば当時子どもさんだった方の話を聞きたかったです。またこの企画があったら参加します。

 
【参考資料】
『1945年6月29日 岡山空襲の記憶』(岡山市)
『戦後・岡山空襲から七十年 今に残る街角の証言者』(岡山の戦争と戦災を記録する会)

【参考サイト】
岡山城 https://okayama-kanko.net/ujo/index.html
岡山市ホームページ「市内に残る戦災の遺跡」 https://www.city.okayama.jp/kurashi/0000012445.html
岡山シティミュージアム「岡山空襲展示室」  https://www.city.okayama.jp/okayama-city-museum/0000022330.html
総務省ホームページ「岡山市における戦災の状況(岡山県)」https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/chugoku_02.html
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